(構成: 川端哲生)
■「熊谷守一」と「大島弓子」
犬童: 『モリのいる場所』で沖田監督が考えていたことは、僕がドラマ『グーグーだって猫である』(2014・2016)を撮っていた時の考えに近いのかなと思った。あの作品は、狭い世界の中で大きな話を語るというスピリチュアルでSF的なドラマを突き詰めたい思いがあったんだけど、それって大島弓子の思想から影響を受けているんですよ。取材を受けないことで知られる大島弓子が70年代の終わりに漫画家の真崎守と対談しているんだけど、その中で大島さんが映画『2001年宇宙の旅』(1968)について、「私だったらあれを全て吉祥寺でやります。」って言葉を残しているわけ。大島さんの漫画って、吉祥寺さえあれば、地球上の全てのことが描けるという挑戦だからね。
沖田: この対談の前に『グーグーだって猫である』を観させて頂いて、もしかしたら近さがあるのかもしれないと思いました。
犬童: 『モリのいる場所』は、モリこと熊谷守一が庭を一周する1日の出来事の話。そういう限られた時間、狭い世界の中で、大きなことを語ろうとする姿勢も近い。モリが家の門から出ようとする場面があるけど、庭を出ることを冒険のように捉える視点も通ずるものがあると思った。
沖田: 家の門から出ようとする場面は守一さんが家からちょっと出る、それだけのことを大冒険にしたいって考えがありました。僕達の日常生活の行動の範疇も意外と限られている気がしていて、熊谷守一の場合、それが家と庭で完結しているんです。近いとか遠いという概念もその範疇で存在している。小宇宙じゃないですけど、僕もこの映画を箱庭の中のミニチュアみたいな話に出来ないかなって思ったんです。
犬童: そういう意味では大島さんにとっての庭は井の頭公園なんですよ。ご自身が井の頭公園沿いの家に住んでいることもあるけど。あと、大島さんってFAXでしか外部の人とやり取りをしない人で、「漫画家・大島弓子」と「画家・熊谷守一」はそういうキャラクターも似ている。『モリのいる場所』の劇中でモリが庭にある何かしらを飽きもせずにじっと見ている場面があるけど、同じく『グーグーだって猫である』の小島麻子も普通の人が見過ごすようなものを立ち止まってじっと見てしまう人。言い換えると、時間の流れが完全にズレてる人ってことなんだけど、小島麻子の設定は実際に大島さんに何度か会った僕の印象がベースなんですよ。
沖田: 僕の場合は守一さんにはもちろんお会いしたことはないですけど、時間の流れに対する感覚が独特だったのかなって想像はしていて、描いた絵を見ていても一つの場所に踏みとどまって深く見つめている印象があった。僕の性格はそれとは真逆で大事な物事を見過ごすタイプ(笑)だから憧れはあるのかもしれないです。
犬童: そもそも熊谷守一に興味を持つきっかけは何だったの?
沖田: 山﨑努さんの紹介でした。初めてご一緒した『キツツキと雨』(2011)のロケ地が出生地の近くで、撮影中に「記念館に行ってみたら」と声をかけて下さって。撮影に追われて結局行けなかったんですけど(笑)でも撮影が終わった後で読んだ藤森武さんの写真集「独楽 熊谷守一の世界」が面白くて、それが興味を引く大きなきっかけでした。家から一切出ない暮らしに興味が湧いて。山﨑さん主演で映画を撮りたいって思いが以前からあったので、じゃあ山﨑さんが守一さんを演じたらどうなるだろうって考えたのが始まりでした。
犬童: 熊谷守一の作品展「生きるよろこび」を見に行った人なら特に分かると思うけど、熊谷守一って初期の頃からああいう性質を持った作家ではなくて、悩める青年として画家を始めて、紆余曲折があって、最終的に映画で描かれているような人になっていくじゃない。変遷の末に獲得するみたいな、歳を取った人が土や草に近づいていくという感覚はすごく分かる。僕もそうだから。石にまで興味がいくと男性として終わりって言うけど、石をじっと眺めるモリを観て、自分も最終的にここに行くんだなって納得した(笑)
沖田: 悟りっていうやつですね(笑)
犬童: 僕は10代の頃にこれに近い視点を大島弓子に植え付けられているんだよね。高校生の終わり頃、萩尾望都という漫画家に出会ったせいで少女漫画を読み始めて大島弓子に行き着くんだけど、勝ち負けに夢中の少年漫画の世界から何も知らないでいきなり入り込んだ。その時の衝動って、熊谷さんの絵を10代で突然見せられたみたいだった。他の少女漫画って、未来のことより今のことばかりで、例えば分かりやすく目の前の恋愛を描いたりする。対して、大島さんは恋愛をわざと描かなくて、不思議な人間関係だけをひたすら突き詰めて描いていた。最終的な目線が木だったり陽の光だったり大自然に向けられる。ドラマが盛り上がっても人に目線を向かせないんですよ。それまで深作欣二やサム・ペキンパーに夢中だった自分にしたら凄い衝撃だった(笑)
沖田: その差は驚きますね(笑)
犬童: ただ、これは女性である大島さんならではの視点だと思っていたから『モリのいる場所』を観て、男性の場合は老人になるまでこの視点を持てないのかもしれないと思った。積み上げて積み上げた末に獲得する境地なのか、と。
沖田: それについては、僕はまだ40代になったばかりで、94歳の守一さんの境地をちゃんと捉えていたかというと正直自信はないんです。でも、脚本を書いていて自分が好きなものだけで世界を成立させようとすると、それが狭ければ狭いほど外への想像力が膨らむという面白さがあったんです。先ほど犬童監督が、自分の世界の外に踏み出すことを冒険と捉えると言われましたけど、『グーグーだって猫である』の第4話で、麻子が漫画賞の授賞式に出席するエピソードが印象に残っていて。授賞式なんて、それこそ違う星に行くくらいの大冒険じゃないですか。
犬童: 現実の話で言うと、授賞式に大島さんは行かなかったんですよ。2008年に映画『グーグーだって猫である』(2008)を撮った後くらいに手塚治虫文化賞を受賞されているんだけど、その時に大島さんから僕に「代理で小泉今日子さんに出て頂けるように頼んでもらえないですか」と連絡があって、小泉さんにお願いして授賞式で代わりに挨拶をして頂いたんです。大島さんなりに周囲への気遣いはあるけどやっぱり行けない人なのね。それで後にドラマ版を撮る時、もし授賞式に大島さんが来ていたらどうなるだろうって、居場所を持てない人がああいう場所に来た状況を想像してあの最終話が出来た。
沖田: あの授賞式の何とも言えない雰囲気は凄く面白かったです。『モリのいる場所』にも守一さんが文化勲章を辞退する件りがあって、劇中でするような雑な断り方はしていないんですけど、実際は守一さんのことを説得するため家にまで遣いの人が来たらしいんです。それでも辞退したみたいなんですけど。
犬童: 大島さんもそうだけど、きっと賞自体に基本的に興味がないんだよね。
©2017「モリのいる場所」製作委員会
■ストーリー性と演技の持続
犬童: 熊谷さんの絵の画風と大島さんの漫画の作風の変遷も似ていて、大島さんってストーリー漫画をもう20年以上描いてなくて、今はもう自分の飼っている猫たちの日常のエッセイ漫画だけを描いている。題材や職業にキャラクターを当てはめていくような漫画じゃなくて、人と人の関係性の新しさみたいなものをずっと描いてきたから、そういうものを締め切りに追われながら続けていくのは相当大変だったと思うんだよね。熊谷さんは、庭や自分の身の回りの絵ばかりを描くようになる。大島さんの場合はそれが自宅にいる猫だったわけだけど、猫のことばかり描くようになってから15年も経つと、飼い始めた猫達が死んでいく。だから「キャットニップ」の終盤は、病院に猫を連れて行く回や猫を看取る回がほとんど。でもそれがスローなストーリー漫画みたいで、猫が生まれて死ぬまでを記すクロニクルみたいな意図が最初からあって大島さんは描いていた気がしてくる。そうすると、初期のストーリー漫画でのキャラクターに向ける作者の視線も同じだったのかもしれないと後から気付かされた。
沖田: 面白いですね。僕も自分が読者や視聴者として、ストーリーのない作品を読んだり見たりしたくなる時ってあるんです。誰かが書いた取り留めのないブログの文章を読むだけでいいみたいな時もあって。僕自身はそういう特性のある作家だとは思わないんですけど、今回の映画は特別な気持ちで撮ろうとしたところがありました。本来なら主人公が成長していくみたいな型があるのが普通だと思うんですけど、今回はそうじゃない気分だったというか。
犬童: 1日を描いた話に決める前に、違う時間のスパンも考えたの?
沖田: 一応考えました。加瀬亮さんに演じて頂いた写真家のモデルになっている藤森武さんが晩年の守一さんの家に実際に3年間通い続けたらしいので、その3年間の話にしようとか、60歳から10年区切りで1日ずつを描いた話にしようとか、色々と試行錯誤はしました。こういう伝記モノの映画って生い立ちからやりがちですけど、それに対するアンチとかいうわけではなくて、1日の話にした方がシンプルでいいかなと思ったので、最終的にこの形になりました。
犬童: 長いスパンを追うよりも1日に絞ったのは熊谷さんに近づくためには良かったと思うな。熊谷守一がどう変遷して生きたのかを追うよりも熊谷守一と丸1日一緒にいた方が理解できたような気持ちになれる。映画を観ている人は1日の時間を共有できるわけだから、観客としての実りが多いように思う。
沖田: 素晴らしく的確な表現です。うまく言い表せなかったんですけど、まさにその通りで、映画を観ている人自身がモリの家に訪ねてくる客人達の中の一人であると感じて観てくれたらいいなと思います。
犬童: これだけ多くの事が1日に起きるという体感があるけど、もしこれが30年間で起きた出来事だとしたら少なく感じるかもしれない。1日に沢山の事が起こるのも熊谷さんの資質に合っているように思う。あと、これは聞きたいと思っていたことなんだけど、『モリのいる場所』の中に、時間経過を表すための虫のインサートカットを多く入れた理由は何かあったの?
沖田: あれはですね、まず基本的に生き物が馬鹿みたいに出てくる映画にしたいという前提があって、守一さんが虫を凝視するシーンはあらかじめ決まっていたんですけど、あの庭には名前も分からないような虫が沢山いて、守一さんの影響なのか自分も現場でそれを凝視するようになっていて(笑)面白いからって撮り溜めていたら、最終的に物凄いカット数になってしまったんです(笑)ある意味で庭が主人公みたいな映画でもあるので、「あの庭は主人のすべてだからね」と樹木希林さん演じる奥さんが言った時に、庭の命を画として印象的に振り返りたいっていう意識は多少ありました。
犬童: なるほど。奥さんのその言葉に集約されるように、映画を観ている側の脳裏に虫のカットが浮かぶってのは確かにその通りだね。なんかね、今村昌平の映画にああいう実景はよく入るけど、それとはまた違う感じなんだよね。
沖田: こんな虫が生きているという「今日の庭」感を出したかったのかなぁ。いや、個人的に「虫好き!」というだけだったのかもしれないですけど(笑)
犬童: 今回のようなテイストの映画は今までの沖田監督には無かった気がする。主人公が老人だったせいもあるのかな。若者を撮ってきて、中年を飛ばして一気に老人にいったわけじゃない。モリは老人も超えたような存在だから、年齢や世代ではない世界に踏み込んで作っている感覚だったのかな。
沖田: 無自覚な面も多分にあるとは思うんですけど、山﨑努さんと熊谷守一の映画を撮りたいという思いが発端になければ、こういう題材は選ばなかったと思うんです。もう少し自分に近い主人公で身近なことを描くと思うので、やっぱり出会いとタイミングが大きかったと思います。
犬童: 『モヒカン故郷に帰る』(2016)の脚本は、ずっと書き直していた印象がある。いつまでも書き直しているから山田洋次監督が心配していたからね(笑)
沖田: そうでしたね(笑)当時、何かの席で山田洋次監督と犬童監督にお会いして脚本の話をした時に、「もう最後、お父さんが生き返ればいいんだよ」って山田監督に言われました。呆れ半分で言われたとは思うんですけど(笑)
犬童: 父親と子供の関係を細かく突き詰めては何度も最初から書き直したりしていて、早く撮ればいいのにと思いながら、真面目で偉いなって僕も感心していたんです。そうやって今までは登場人物に対して他人事ではない態度で臨んでいたと思うけど、今回のはそういう純粋な真剣さとは少し違うよね。変な話だけど、今までに比べて撮影の最中に楽だなって感じることはあった?
沖田: いい意味で肩の力は抜けていたと思います。『モヒカン故郷に帰る』の時は力が入りまくっていたので。今回は山﨑努さんがモリをやってくれれば、もう半分は完成したような気持ちでした。脚本に関してもプロデューサーの要望で小さな直しはありましたけど、初稿から基本的にズレなかったです。守一さんの絵みたいな映画を撮ろうって決めた瞬間から開き直っていたというか、守一さんが描くような絵にどうしたらこの映画が近づけるかって意識に向かっていったので。劇的なお話を求めてみたりしても、いや、やりたいことはこういうことではないよなと思い改めるというか。
犬童: あの頃の沖田監督はどこへいったんだろうって思った。どちらも沖田監督が作った映画ではあるんだけど、カメラの動き方も違う。今までの作品はワンシーンワンカットの長いシーンが少なくなかったけど、この映画はそこはよく分からなかった。よく分からないというか、どうやってカットが繋がっているか気にならなかった。
沖田: それはあったかもしれないです。撮影中は「別にカット割っていいじゃん」って思っていました。
犬童: 『モヒカン故郷へ帰る』や『横道世之介』(2013)もそうだけど、沖田監督は俳優の演技の持続を大切にする人だから、これは悪い意味ではなくて、カットを割ってしまうと何か失われるものがあるという意識があったと思うんです。だけど、『モリのいる場所』はそれを全く感じなかった。スナップを見ているような感覚に近くて、カットを割っているか割っていないかは全く気にならなかったし、演技の持続に対して意識が向くことなく観られて、それが心地良かった。唯一、時々入ってくる虫は強く目立っていたけど(笑)
沖田: 虫はそうですね(笑)虫に限らず、できる限り対象に寄っていきたいという思いはありました。シネコンの大画面に山﨑さんの顔のアップを思いきり写したかったんです。そういう狙いはありました。
©2017「モリのいる場所」製作委員会
■「俳優・山﨑努」について
犬童: 『死に花』(2004)を撮ってから山﨑さんは主演をやられていないから、主演映画をそろそろ撮らないといけないと勝手に思って、山﨑さんに合う原作を見つけて、吉田プロデューサーに提案したら「今、沖田監督で撮っています」って言われた。その原作はハードボイルドなドラマで全然違うものだったんだけど、沖田監督が主演映画を撮ってくれてよかった。
沖田: え、そうだったんですね。それも是非観たいです。なんだろう、でも実際の熊谷守一さんと山﨑努さんは雰囲気がちょっと違う気はするんです。そこがいいなとも思ったり。写真集で見た印象だけですけど、守一さんはもう少し穏やかで、山﨑さんの方が気性の激しそうな表情をされている。だからこそ楽しみでもありました。撮影前は、我々のモリを探そうってことで山﨑さんのご自宅へお呼ばれして、守一さんの写真集を見ながら「ああでもない、こうでもない」と話し合いました(笑)
犬童: 僕も『死に花』の時に同じようなことをやりました。『死に花』は、山﨑さん、谷啓さん、宇津井健さん、青島幸男さんの4人組の話で、ベテラン俳優ばかりだったから、まず好きに演技してもらって後から少し言って変えてもらうみたいなやり方を僕はしていて、山﨑さんが「お前は優しい監督だな」って言うわけ。ちょうど行定勲監督と『GO』(2001)をやった頃で、「行定やお前みたいな監督がいつか出てこないかって、ずっと思っていたんだよ」って。山﨑さんからすると、監督と俳優が話し合いながら作っていくやり方が若い時の理想だったんじゃないかと思うんですよ。昔はそれをやるのが難しかったと言っていたので。僕らの世代のその先に沖田監督がいたのかなって、山﨑さんにとっての『モリのいる場所』はそういう映画に見えた。山﨑さんの著書「俳優のノート」は読んだ?
沖田: はい、読みました。
犬童: 舞台「リア王」の上演のためにあれだけの本を書く人だから、脚本が出来てから映画の撮影が始まって終わる日まで、役をどう組み立てようとか、人物の背景とか、テーマはどこへ向かうとか、ひたすら考え続けているじゃない。一緒に仕事した時、僕は40代前半で、山﨑さんは60代後半だったけど、この歳の人がこんなにも俳優が好きだということに一番驚いた。たぶん若い俳優志望の青年以上に俳優のことが好きな俳優だと思う。撮影前はびっしりメモが書かれた台本がFAXで送られてきたし、撮影中も電話で色々と質問される。『死に花』の時に共演の青島幸男さんは俳優が本業じゃないから台本をあまり覚えてこなかったのね。綿密に計画した演技をする山﨑さんに対して、青島さんは現場の乗りで直感的にやる。最初、山﨑さんはそれが苦手で、青島さんの演技について電話で相談がくるわけ。「あれはあれでいいと思います」って正直に僕は言ったんだけど、撮影をしていくうちに、山﨑さんが逆に青島さんの演技の大ファンになってしまって、途中から青島さんに演技プランを崩されることを楽しみ始めた。追求はするんだけど、それを平気で捨てることも出来るところが凄いと思った。
沖田: 凄いですね。僕も山﨑さんから電話で質問されたり、現場でもずっと話しながら作っていった感じはあって。それって監督としては嬉しいし、楽しかったです。
犬童: 撮っていて思ったことの一つは、山﨑さんって何でもないことをするのに敢えて時間をかける人だなってこと。些細なシーンでも考え抜いた上でまずやってみる。黒澤明が松竹で映画を撮った時に助監督だった野村芳太郎が後年のインタビューで話していたんだけど、黒澤明が半日悩んだ末にこうやって撮ろうと言うと、スタッフ陣はそれを聞いてポカンとするらしいの。何故なら、すごく普通のやり方だから。悩まなくていいようなことにもちゃんと悩んで、普通のやり方に辿り着くような人だったってことだけど、山﨑さんにもそれと似たものを感じて、そういうやり方だからこそのあの説得力のある芝居なんだと思う。
沖田: 山﨑さんは『モリのいる場所』の脚本を気に入って下さってはいたみたいで、現場の雰囲気で僕が脚本と違うことをやろうとした時に、「この脚本の面白さとは意味が変わってくるけどいいのか?」と言われたし、面白い脚本はそのままやればいいんだって、考え抜いた末に最終的に脚本に行き着いている感じは確かにありました。あと、僕が『キツツキと雨』の撮影で印象に残っているのは車の中のシーンを撮った時で、車の中の撮影って、拠点があって車を運転して最後に拠点に戻ってくるじゃないですか。そうすると半分くらいで脚本が終わってしまうんですけど、拠点に戻るまでの間がもったいないのでそのままカメラ回していたら、その先の芝居を即興でやって下さったんです。
犬童: やらないだけで当然、アドリブは出来るということだし、それくらい脚本を読んでいるってことだよね。
沖田: そうですね。山﨑さんに対してこんなことを言うのも失礼ですけど、自分が脚本を書いた時に考えた気持ちまで知っている俳優さんが目の前にいるくらいに感じました。『キツツキと雨』の時もそうなんですけど、山﨑さんとの撮影が始まる前に『早春スケッチブック』(1983)を必ず観るんです。そうすると、山﨑さんが演じたあのお父さんに向かい合っていかなければいけないって気持ちになります。
犬童: じゃあ、山﨑さんの次の主演映画は、翌日のモリを沖田監督が是非、撮って下さい。
監督・脚本: 沖田修一
2018年5月19日(土)より、シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国ロードショー
監督: 犬童一心
2018年6月23日(土)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー
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