MOOSIC時評 vol.1 直井卓俊+森直人×九龍ジョー

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  • 2015.03.05

MOOSIC時評 vol.1 直井卓俊+森直人×九龍ジョー

SPOTTED PRODUCTIONS代表で、『MOOSIC LAB』の主宰である直井卓俊が、映画ライターの森直人氏と、音楽と映画について忌憚のない談義を繰り広げる連載『MOOSIC時評』。第1回は、SPOTTED創生期からのご意見番で、フィクサー的存在でもある、新著『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)を刊行したばかりのライター、九龍ジョー氏がゲスト。

(構成: 川端哲生)

 

 

直井さんってもともとは作家に付くタイプのプロデューサーだったけど、ある瞬間から場を作る側に行きましたよね。(九龍)

 

 

直井: SPOTTEDが今年の2月8日で会社設立5周年だったんですけど、この仕事初めてからは8年目。九龍さんの『メモリースティック』を読んでたら、会社設立前夜の頃のことからまとめてあって吃驚して。それと如何に自分が振り返らないようにしてるかっていうのも分かった(笑)

 

九龍: 絶好のタイミングで良かったです(笑) 僕も古い原稿を読み直して思いましたね。直井さんとか松江(哲明)監督っていうのは重要な存在だったと思うので。2人は、音楽×映画とか、アイドルブーム、さらにはテレビドラマまで、YouTube以降のポストメディウムな状況に最前線で対応していて、僕もそれを説明することで言葉を更新してきたっていう面もあって。そこで得た成果がふいに演劇や古典芸能みたいな他のジャンルに接続されて、さらに思考がドライブされるっていう。だからSPOTTEDやMOOSIC LABの流れは、僕にとっても重要でしたよね。

 

森: 『メモリースティック』は本当に素晴らしくて、読みながら僕のメモリーも補完されましたよ(笑) 九龍さんは2004年からライター業開始ですよね。僕は2004年って当時ご近所さんだった□□□の三浦康嗣とかとよく遊んでた頃で、ただそれ以降、新しい音楽を網羅的にチェックするようなどっぷり感のモードから徐々に抜けていったんです。思えば自分の撤退と交差するように、九龍さんのドキュメントが始まったんだなって。そして「映画をちゃんとやろう」って気持ちにシフトしてきた頃に、自然と直井さんとの距離も近くなっていきましたね。

 

九龍: 森さんが、竹内(道宏)監督のうみのてのYouTube動画に猛烈に反応したことがあったじゃないですか。かまってちゃんのライブ動画を撮っていた竹内くんが、MOOSIC LAB 2012の『新しい戦争を始めよう』を経て、『世界の終わりのいずこねこ』を監督するにまで至った流れもここ数年の音楽×映画の状況を象徴してますよね。あそこで森さんがうみのての動画にビビットに反応されたのは、すごいなと思って。森さんみたいな自分より年上のライターが、新しいものに衝撃を受けるという気持ちを摩耗しないでずっと持っているんだってことに、刺激を受けましたよ。

 

森: 竹内さんが撮った『もはや平和ではない』のライヴ動画(2011年11月13日の秋葉原グッドマン収録)ですね。それは何故かと言うと「クイック・ジャパン」で九龍さんのコラムを読んだからですよ。竹内さんとのちに『サマーセール』を撮る岩淵弘樹さんについていち早く書かれていて、あれでインプットされてから、すぐ「たけうちんぐ」動画を観始めたんですね。

 

九龍: 書きましたね(笑) あんな小さいコラムをチェックしてくれてたのがすごいです。

 

森: たぶんね、音楽を同時代に追いかけることから離れたおかげで逆に新鮮にキャッチできたんですよ。もっと蓄積があったら、あそこまで気持ちが盛り上がっていたどうか。その勢いで『ヒミズ』など強豪を抑えて「映画秘宝」の年間ベストワンに推しちゃったんですけど(笑) だから自分がちゃんと映画畑に居ることで、時期はちょっと遅れるんですけど、映画専門誌のような場所で吸い上げることが出来たのかなって。そういう映画と音楽をつなぐための状況や環境が2010〜2012年辺りで整ってきた気がして、その最たる象徴がMOOSIC LABのスタートでしょう。SPOTTEDの5年、或いは『童貞。をプロデュース』からの8年ですけど、直井さんはインディペンデントの映画と音楽がクロスする地点に居て、シーン全体を引っ張っていった人ですよね。

 

九龍: 直井さんってもともとは作家に付くタイプのプロデューサーだったんですけど、ある時期でシフトチェンジしたと思うんです。いまおか監督とか井口監督とか松江監督くらいまではそういう付き合い方をしてたんだけど、ある瞬間から場を作る側に行きましたよね。人に惚れ込むっていうスタンスは今でも変わらないですけど、かつてのように作家に好きなものを作ってもらって配給するっていうのとは違って、直井さんの方からも仕掛けて、何かを作らせるというか。

 

直井: そうですね。それは松江監督の『ライブテープ』が大きくて。個人での配給の限界を感じたんですよね。あの後、初めて自分で企画して発信したのが入江悠監督の『劇場版 神聖かまってちゃん』で。製作委員会の映画つまんないとか言ってないでむしろ飛び込んでみようと思ったり。まさにターニングポイントですね。さらに『MOOSIC LAB 2012』で、当時そんなに関わりなかったけど(笑) インディーズ映画界で目立ってた今泉力哉監督や、「映画太郎」っていう映画祭をやって場を作ってた平波亘監督を誘って。

 

森: それ、明確ですよね。「人から場へ」っていうようなパラダイムシフトが、そのままSPOTTEDの5年じゃないですか?

 

直井: そうですね。震災を挟んだのも大きいです。一気にやっちゃおうっていうモードになったというのはあったと思います。1人だけをずっとやってくというよりは、あらゆる可能性を探そう、試そう、みたいな。あと監督が自分より歳下になったっていうのも大きいですね。

 

九龍: ライターっていう仕事にも言えることですけど、僕と直井さんは同い年(1976年生)なんですけど、例えば、雑誌とか、映画館とか、配給システムにしても自分たちで場所を作らざるえないってところはありますよね。

 

直井: 本当にそうです。『SPOTTED701』も『MOOSIC LAB』もそれでただただ無我夢中でやってただけですから(笑)

 

森: そのへんって僕からすると微妙な世代差を感じるんですよ。僕はお二人より5歳年上なんですけど、結構ね、既得権益のお世話になってる(笑) ライターを始めたのが97年で、デビューも「キネマ旬報」からだったし、オールドメディアに乗っかる形で普通に逃げ切れた最後のあたりかもしれませんね。確かに70年代後半以降生まれのカルチャージャンルの書き手って、自分(たち)で何か場所を立ち上げて注目された人が多いんですよ。

 

 

『モテキ』の存在はかなり大きい。当時『監督失格』も、TOHOシネマズ六本木でやってて、何か妙に危機感を感じて。(直井)

 

 

九龍: ちょうどミュージシャンとかもそうで、98年組のくるりやSUPERCAR、ナンバーガールまでは大手メジャーからリリースすることができていた。いま彼らと同じような音楽性のバンドが登場しても、いきなりメジャーからっていうのは難しいと思うんです。やっぱりいまは、まずは自分達でやるしかないっていうのはありますよね。あと、『メモリースティック』にも書きましたけど、直井さんが関わってきたようなインディペンデント映画においては、映画『モテキ』(大根仁監督)の存在は大きかったと思いますね。

 

直井: あ!そこは僕も思ってたことが書いてありました。『MOOSIC LAB』をやるにあたって『モテキ』の存在はかなり大きい。当時『監督失格』(平野勝之監督)も、TOHOシネマズ六本木でやってて、何か妙に危機感を感じて。

 

九龍: 『モテキ』とか『監督失格』とか、ああいう尖った上に、良質のサブカルチャーを掬い上げた作品が、東宝メジャーで公開された。森山未來とミュージカルのようにPerfumeと踊ってるんですよ? もうこの後に何をやったらいんだって(笑) その縮小再生産をやっても仕方がないっていう覚悟の上で、未知の方向へと振り切り方ったのがMOOSIC LAB 2013でしたよね。あそこで山戸結希監督と三浦直之監督(ロロ主宰)が登場した。と同時に、その裏で超低予算の『恋の渦』までスマッシュヒットさせて相変わらず感度バツグンな大根さんが、『バクマン』を準備しているという状況は、もう楽しくてしょうがない(笑)

 

森: だから僕、「メジャーとインディーズの液状化」っていう言い方を数年前からよく使ってるんですけど、2011年の『モテキ』というのはその象徴的な作品でね。『童貞。をプロデュース』以降のインディーズで培われたものをメジャーにアップデートした作品だと言えるし、最初が深夜ドラマだったことも重要。しかもその後、大根さんの『モテキ』から『恋の渦』っていう流れは、メジャーからインディーズにひょいっと降りてくる現象じゃないですか。それが年少世代ではもっと顕著で、『アフロ田中』が映画デビューだった松居大悟監督にしろ、『あまちゃん』を経てエッジー化している橋本愛さんにしろ、垣根が決壊した部分は確実にありますよね。縦の上昇志向とか規模の大小では計れない感じが出てきました。

 

直井: そうですね。松居監督×大森靖子『ワンダフルワールドエンド』は高円寺の無力無善寺で『ミッドナイト清純異性交遊』のMusic Video撮影から始まったんだけど無善寺に橋本愛が立ってるっていう時点で目眩がしてたのに、今やベルリン国際映画祭という国際舞台に漂着しちゃったりしてわけがわかりません(笑)

 

九龍: 大根監督については80年代の山本政志監督や石井岳龍監督などへのリスペクトと、さらにその限界を見据えた先の映画監督としての自覚、とくにテレビとの距離感ですけど、あると思うんですね。でも松居監督ぐらいになってくるとそういう意識はなくて、ホント自由。こんど公開される関(和亮)監督のドキュメンタリー(「不可思議/wonderboy」)の撮影も担当してたりする。『ワンダフルワールドエンド』でも感じたことなんですけど、松居監督っていい意味で「映画」を有り難がってないのを感じるんですよね。そこに彼の凄みがあって。他の監督と比べられないものにならないような、吹っ切れ方ができるんじゃないかと。

 

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『ワンダフルワールドエンド』(松居大悟監督)

 

森: あくまで持論ですけど、松居大悟は「ポスト大根仁」かもって(笑) お二人とも「誰かのファンになる」ことから自分の表現を立ち上げるタイプで、川勝正幸さん風に言うと「DJタイプ」、マキタスポーツさん風に言うと「フォロワータイプ」の最優秀者ですよね。松居さんも「テレビブロス」でコラム連載したいとか内心思ってるんじゃないかな(笑) 資質が似てるので牽制する部分もあるのかもしれないけど。ただ68年生まれの大根監督はテレビでやってきた人で、師匠は堤幸彦さんでしょう。さっきの世代の図式で絡めると既成システムを享受できた最後の人だから、弟・妹世代の若手を引っ張り上げる役割に最適任ですよね。

 

直井: 確かに最初に大根監督を知ったのって、『週刊 真木よう子』って深夜ドラマで、山下監督はじめ、山口雄大監督、井口昇監督とか当時「刑事まつり」とかに参加してるような尖った監督たちを誘ってる目利きのプロデューサーという印象だった。

 

九龍: いましろたかし先生の短篇を赤堀雅秋脚本、井口昇主演で、山下監督に撮らせたりね。しかし『モテキ』直後はホント焼け野原でしたよ。大大大ヒットですもん。N’夙川BOYSや前野健太の歌が一般層にまで届くっていうのはすごく喜ばしい状況なはずなのに、同時に途方にもくれるっていう。それで直井さんがつけたキャッチが『新しい戦争を始めよう』(竹内道宏監督)ですよ(笑)

 

森: その焼け野原の後で、松居監督は自覚的に変わりましたよね。『アフロ田中』の後が急にスリリングになったのは賢いなって思いました。同系の『男子高校生の日常』にしろ、『アフロ田中』の延長ではいけないんだってちゃんと敏感に反応してる。

 

九龍: 『男子高校生の日常』も『桐島、部活辞めるってよ。』以降の学園映画を意識した作品だったし、常にモードチェンジをしてますよね。

 

森: 『ワンダフルワールドエンド』なんてのは、自分を殺してるレベルまでいってますからね。大根監督もそうですけど、批評家タイプというか批評能力が高い作り手が増えてきて。入江悠監督もそうですよね。彼は色んな人の意見を自分的に咀嚼して、次の作品に取り入れてますから。

 

直井: 入江監督は不条理な事があっても文句は言わずに次に活かすみたいなのはありますね。5年経って、まさか入江監督が4.5億の映画を撮ることになるとは(笑)

 

九龍: 入江さんは着実に階段を上ってますよね。そもそも、ずっと『宇宙戦争』みたいな映画を撮らせろって言ってる人なわけで(笑)

 

直井: そうなんですよね。『サイタマノラッパー』の前に撮った『ジャポニカ・ウイルス』って、それを先走って撮った映画でしたから。

 

 

メジャーに『テラスハウス』、ミドルに『キス我慢』、コアに『テレキャノ』みたいな(笑) 「観客参加型」のイベントムービーね。(森)

 

 

森: 大根監督、入江監督、松居監督と並べると割と似た資質の三人がいるなって気はしますね。広いレンジで活躍できる、職人的な資質も備える批評家タイプ。ちょっと三兄弟的な(笑)

 

九龍: でも、今の映画監督はそうならざるをえないですよね。なかなか天然の人ってのはね。最近だと『故郷の歌』の嶺豪一監督とか、『雲の屑』が公開される中村祐太郎監督にはちょっと期待してますけど(笑)

 

直井: 『アイドル・イズ・デッド』の加藤行宏監督も森さんの言う所の野生児タイプ(笑) 『魅力の人間』の二ノ宮隆太郎監督とかも、本当に才能あるのに自己プロデュースが下手過ぎる…!

 

九龍: 加藤監督なんかは意外にも別役実フォロワーだったりもするんですけど、その影響の処理の仕方にやっぱり動物的なものを感じますね(笑)

 

森: プロデュース側の課題があるとすれば、野性児をどう上手に活かすか、かもしれないですね。

 

直井: そうですよねえ…。ところで、『メモリースティック』にも収録されてましたが、以前に九龍さんが「MUSIC MAGAZINE」に大森靖子の映画史について書いてたじゃないですか。僕と大森さんとの出会いは加地等さんのイベントで、初めて交わした言葉が、「『サイタマノラッパー3』ってどうやったら出れるんですか?」で(笑) 岩渕君と2人でグイグイくる感じがあって。

 

九龍: 最近、金子山撮影の大森靖子写真集(『変態少女』)が出ましたよね。巻末に質問コーナーがあって、キャリアのターニングポイントを聞く質問があるんです。そこで大森さん、「岩淵くんとサマーセールって映画をつくったこと」って答えてるんですよ。こないだ大森さんと会ったときに、あれはどういう意味なのか聞いたら、「あの映画のおかげで、人には頼ってはいけない、自分でやるしかないって覚悟が決まったんです」って(笑)

 

森: 『サマーセール』の重要性がどんどん増してますね(笑)

 

直井: 当時に比べたら増してますよね。お蔵になりそうだった映画なのに。最初のプロトタイプでは、ラブホシーンだけで50分あって、ミュージシャンの大森さんって人には興味を持ったんですけど、映画はよく意味が分からなくて。そしたら松江さんが僕の10倍くらい怒って、説教してて。カンパニー松尾隊長にも「辞めた方がいいよ」って言われたって(笑) でも、あの映画はなんか好きだったんですよね。当時観て、今泉監督は泣いたっていう(笑) 加藤(行宏)監督も「一番良かった」って言ってましたし。

 

森: 受賞はしないけど、当時も監督陣には人気でしたよね。つーか、みんな好きだったよ(笑) 僕も「裏ベスト」って言ってたし。あれで、その後のMOOSICに連なる、九龍さん言うところの「ビューティフル・ルーザー」のドキュメンタリーの系譜が一枠出来上がりましたね。

 

直井: 途中で逃げようとしてましたから。もう撮りたくないって。それで、大森さんはすごい落ち込んでて。それで、岩淵監督がカンパニー松尾さんに相談に行くのは、『童貞。をプロデュース』そのままで面白くない。そこで大森さんが「私行きましょうか?」ってなった。それが良かったですよね。

 

九龍: そう、天然っていうことで言えば、岩淵監督がいましたね(笑) 彼は間違いなく天然だと思います。岩淵、竹内の二人は、現在進行形でホント重要な映像作家ですよ。たぶん映画評論の世界とかではまったくフォローされていないと思いますけど。

 

森: でも僕、『世界の終わりのいずこねこ』にはちょっとびっくりしましたよ。今回の脚本に西島大介さんはどれくらい入ってるんですか?

 

直井: 骨は西島さんですね。プロットを起こしたのが西島さんです。

 

森: やっぱりそうでしょ。歌姫アイドルとか『マクロス』を知ってる世代だなって感じだし(笑) 竹内監督の前作『新しい戦争を始めよう』はね、良くも悪くも「気分的なもの」として鮮烈な作品だったんですけど、今回はめっちゃロジカルに出来てるんですよ。

 

直井: それは西島さんが意識してました。竹内監督は勢いだからって。僕がロジカルな部分やるって。竹内監督を指名したのは西島さんなんで。

 

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『世界の終わりのいずこねこ』(竹内道宏監督)

photo:飯田えりか

 

森: じゃあ、ある意味「西島プロデュース」なのかもしれないですね。『世界の終わり~』って、ゼロ成長に突入した現在の日本の不安のうえに夢想したディストピアSFなんですよね。そこの論理構築がえらくしっかりしていて、前回の稚拙だった部分がほぼ全部クリアされた。今回の映画があることで『新しい戦争~』も活きてくるような感じになりましたよね。並べてやったら面白いと思います。

 

直井: 『新しい戦争を始めよう』『世界の終わりのいずこねこ』ははっきり世界が繋がってますからね。いつか2本立てでやりたいな。

 

九龍: 竹内監督みたいに、映画プロパーじゃないところでの監督作品で言うと、『劇場版 テレクラキャノンボール2013』のヒットも示唆的ですよね。言ったら純然たる「映画」ではないじゃないですか。僕がMOOSICでも常に考えてきた映画と音楽ライブの接近、つまりはアップデートされた興行のカタチがこのヒットに象徴されてる気がして。『メモリースティック』でも書いたけど、カンパニー松尾さんって、かつては映画館でAVを公開することに対して消極的なスタンスの人だったわけですよ。松江監督が『セキ☆ララ』を公開する時に、「AVをみんなで観てどうするんだ」って思ってたような人で、でもそこの意識が変わっていった底流には、豊田道倫さんとかを通じて直井さんが関わってきたような映画のあり方から受けた刺激も、相当あったと思うんです。

 

森: 平野勝之さんの『わくわく不倫旅行』が『由美香』としてBOX東中野(現・ポレポレ東中野)で公開されたのって97年ですよね。そこから長い歴史が始まって、この17年でそれが当たり前になったってことですよね。懐かしい話ですけど、当時はビデオ撮りを映画として認めない風潮があった頃。

 

九龍: とはいえ、『由美香』の平野さんは8ミリ出身でPFFも受賞していたり、もともと映画作家という意識が強い人でもあったわけですよね。一方で、松尾さんはウォン・カーウァイ好きとはいえ、いわゆる映画への志向性はいっさい無い人だったわけじゃないですか。基本的にはMTVをやりたかった人で。

 

森: 『テレクラキャノンボール』って作品自体は90年代のV&Rプランニングからの延長なんだけど、今では「受容の形」がすっかり変化しているのが面白い。

 

直井: 松尾さんのフィルモグラフィの中で、『テレクラキャノンボール』は異質ですからね。エンタメ要素が強い。他の作品は女優と1対1だから、それをスクリーンで観ても戸惑いがあったかもしれないけど。

 

九龍: 『テレキャノ』だけに関わらず、観客の受け止め方が当時とは違うんだと思います。当時まだBOX東中野だったポレポレ東中野での森達也監督の『A』とか、そういうDVカムベースの新しいドキュメンタリーの潮流の中に『由美香』もあったと思うんですけど、『テレキャノ』はそことも違う。じゃあ、どこかに繋がるかと言えば、『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE』とか、『恋の渦』なんじゃないかと。ちょっとエグくて面白いバラエティをパブリックビューイングする感覚。そこにより過激なエロが加わっているところが、若い女性層の怖いモノみたさを刺激したんじゃないかと。

 

森: 本当にそう思う。その意味でも17年の時を感じました。メジャーに『テラスハウス』、ミドルに『キス我慢』、コアに『テレキャノ』みたいな(笑) ちょっと「観客参加型」のイベントムービーね。でもこのへんの観客受容を詳しく解析するとどういう層になるんですかね。

 

九龍: シネフィル的に映画を観てる人からしたら、映画単体としては評価しづらいってところはあるとは思う。僕にしたって、『テレキャノ』のあの客席の空気はちょっと苦手ではあるんですよ。一人だったら自分もちょっといたたまれなくなって、ゆっくり咀嚼するような箇所が、即、「笑い」に変換されてしまう。でも、一方でカルトムービーみたいな流れからすると、伝統的とも言えるんですよね。『ロッキーホラーショー』的なミッドナイトムービーの盛り上がりって、もしかしたらこんな感じだったのかもしれないな、とか。だから最近は、「古くて新しい」ってことを思うことが多くて。

 

森: そう、「古くて新しい」がキーワードとして一番しっくりくるかも。

 

 

作品が新しいか古いか、もっと言えば傑作が駄作かすらどうでも良くて、現在の観客と触れあったときに何が起こるのかを見たい。(九龍)

 

 

直井: それでいえば武正晴監督『百円の恋』も「古くて新しい」にカテゴライズできるのかな。愚直なまでにストレートな泥臭い映画ながら、予想以上の大ヒットで、今迄に5万人以上の人が観ている。

 

九龍: 安藤サクラはホント素晴らしいじゃないですか。で、彼女の魅力にも、やっぱり「古くて新しい」を感じるんです。ホント1周廻った気がするんですよね。ポストモダンから何年経ったか分からないですが、いまや「新しさ」という価値がかつてよりも問題じゃなくなってきてるのを肌身をもって感じますよ。テクノロジーの「新しさ」はあくまでテクノロジーのものでしかなくて、音響とか体感とかには寄与するんですけど、最終的な面白さに繋がる部分って、そんなに変わらないんですよね。例えば『ゴーン・ガール』は最高に面白いけど、ヒッチコックやシェイクスピアより新しいか? と言われたら微妙。でも、それは悪いことじゃないし、いま見て面白いってことが重要。

 

森: それで言うと、例えば『テレクラキャノンボール』は文句なく面白かったけど、僕は各誌の2014年ベストテンに入れてないんですよ。なぜかというと、自分の中であの熱狂というのは97年に戻っちゃうから。現象としてはすごいんですけど、これを僕が入れるのは違うと思っちゃう。V&R時代の衝撃が世代的に大きいから推せないって気持ちがあって。

 

九龍: アンダーグラウンドなものが、たまたま陽の当たるところに出て、みんなビックリしてるっていう現象ですよね。

 

森: そうなんですよね。親父の独り言に近いから言わないんですけど、いま初めて言ったな(笑) ただ「古くて新しい」って「ミもフタもない」ところにつながっちゃう危惧がある。結局イーストウッドが大ヒットしたりとか、ボブ・ディランが最強だよねとか。大林宣彦監督の最近の刺激にもちょっとつながるかな。僕が自分自身でもどかしいのは「進歩史観」が抜けないところ。本当は「新しくて新しい」ものを求めているから、「古くて新しい」時代に移行してから、アタマでは理解していてもどこか気持ちが対応できていない。その点、まさに2004年あたりがターニングポイントだったんです。

 

九龍: ちょうど僕がライターを始めたタイミングだ(笑)

 

森: たぶんね、僕の同世代とか、それ以上の人は似たようなことを思ってる人が多い気がする。『世界の終わり~』を観て、西島さんもそうかもなって思いました。でも『百円の恋』には「古くて新しい」の威力をしっかり感じましたよ。あれは脚本の力が本当に大きいと思う。土台の部分は「新しい貧困」モードにちゃんと整えてるじゃないですか。

 

九龍: 貧困包摂の問題ですよね。あの映画の舞台である百円ショップに象徴されるように、貧しさを貧しさとして認識することすら困難な時代ですから。ジムに標語が掲げられてるんですよ、「ハングリー」と「アングリー」って。それを受けて「ハングリーとアングリーが難しい時代」っていうレビューを書きました。かつては貧乏と怒りっていうのは持たざる若者にとって身近なものだったけど、今はそれを感じることすら難しい。ファストファッションとかファストフードのおかげで社会に疑似包摂されてしまうから。『百円の恋』にはそういう時代状況へのチューニングは感じたんです。とはいえ、大枠は『ロッキー』や寺山修司の『ボクサー』なんかとそれほど変わるわけではないですよね。

 

森: 基本は『ロッキー』とか『あしたのジョー』の女子版ですよね。ロバート・アルドリッチとかね。でもマイナー・チューニングがなくちゃ絶対駄目ですよね。

 

九龍: そう、だからそのマイナー・チューニングの部分はしっかり見る必要がある。映画批評の軸とは別に、作品と社会との接点において、ホントそこが重要なんですよ。

 

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『百円の恋』(武正晴監督)

 

直井: 『百円の恋』は、企画段階から呼んでもらってたので、主題歌にクリープハイプを入れられたのは、宣伝のひとつとしてうまくいった。しっかり面白い作品ができあがる予感はあったんですけど、さらにライト層というか、若い音楽ファン層を取り込めたから。

 

森: うん。東映ビデオ映画ですし、SPOTTEDの歴史を考えても重要な作品ですよね。

 

九龍: 映画はそんなに変化しないとしても、観客は変化するですよ。やっぱりここ10年は、20代ぐらいの男の子や女の子が抱えているリアリティと作品が触れあったときにどういう化学反応が起きるのかってことに僕はずっと関心があったんです。ただ、自分が歳をとるにつれて、最近はシフトチェンジをしなきゃいけない気もしてますけど(笑) 一方で、オーセンティックな映画評論の人達は、もっと定まった軸の観客として映画と正対しますよね。その意義も重要さもわかる。ただ僕はそうではなくて、作品が新しいか古いか、もっと言えば傑作が駄作かすらどうでも良くて、現在の観客と触れあったときに何が起こるのかを見たいんです。それは映画以外のジャンルについても同じで。

 

直井: SPOTTEDって、言わばレイト担当の配給会社だったんですけど、『百円の恋』でいきなりお正月の昼間興行だっていうから焦りまくっていろいろ策を練ったのが良くて、何とか窮鼠猫を噛めたっていう(笑) 『ワンダフルワールドエンド』とか『おんなのこきらい』とか、若い子達の観れないっていう声で、昼の回があいたりしたんですよ。『世界の終わりのいずこねこ』も昼やろうみたいに言われて、いやいやいやって(笑)

 

九龍: さっきの『テレクラキャノンボール』だって、『由美香』を観てきたような尖った人達と観るのと、女子大生の集団の中で観るのとでは全然違う体験なんですよね。そこで起きてる事はライブなんですよ。

 

森: それは本当によく分かる。だから「作品批評」ってものに対して有効性を突き付けるような問題だと思うんですよ。例えば松居監督の『自分の事ばかりで情けなくなるよ。』って、映画単体としてはちょっと生煮え感があるでしょ。でも観客受容の回路を含めると評価が逆転する。

 

九龍: 映画のキモの部分が楽曲に託されてますからね。あらかじめクリープハイプの曲をインストールしている観客にとっては、自分の記憶も含めて、複数の物語がバチバチと繋がっていく快感があると思います。でもクリープハイプという名前すら知らない観客にとっては、掴みどころのない作品のまま終わってしまう可能性がある。

 

森: それのプロトタイプとして、入江悠監督の『劇場版 神聖かまってちゃん』があった。だから作品や送り手と受け手のコミュニケーションってところに評価軸を当てるとなると、「作品批評って何?」って思うよね。

 

九龍: 映ってるものだけで思考する表層批評の凄味も十分理解した上で、いまはスクリーン外にまで遍在化した物語のことを考えざるをえない作品が増えてきたと思うんです。たとえば『ワンダフルワールドエンド』なんかは、ただスクリーンだけを観てても「なんだ、これは」で終わってしまうかもしれない。でも、常にTwitterやLINE、ツイキャス、大森靖子の楽曲に慣れ親しんでいる観客にとっては、自分の経験や、断片化した物語、タイムラインの要素がスクリーンの中で絡み合って、物語に取り囲まれているようなスペシャルな体験がもたらされる可能性がある。

 

 

ミニマムな日常を高い精度で描いた方が政治的に読めるところがありますね。キャラと関係性という人間力学だけを描いているから。(森)

 

 

直井: MOOSIC LABをやってるせいで、僕もそういう意識が広がってて。今、『おんなのこきらい』がシネマカリテで連日満席で。森川葵が『ごめんね青春』とかで人気が出てきてるのもあるけど、タイトルとか雰囲気で普段、映画を観ないような女の子が盛り上がってるんですよ。MOOSIC LABの文脈では語りにくい映画ではあったんですけど。

 

森: 『おんなのこきらい』は単品で観た方がしっくりきたんです。MOOSIC LABの時、僕は「今回で一番ウェルメイド」と言っておきながら、でも特別賞枠にしか推してなかったのは、端的にこっちが悪い(笑) 結局、さっき言った進歩史観が自分の中で邪魔してるんですよ。逆に『ワンダフルワールドエンド』と『世界の終わりのいずこねこ』に足りないものと言えば、オーセンティックな強度でしょうね。それを加藤監督は持ってると思うんですよ。すごく明晰に、分析的に作っているから。同じくMOOSICで準グランプリだった『QOQ』の黒田将史監督も混ぜると、例えば黒田、加藤、山戸結希っていうMOOSICの新鋭トップ選手を並べた時に、このレースで最終的に勝つのは本当に誰かわかんないですよ。長期的には、もしかしたら加藤さんかもしれない。世界状況の均質化と二極化が同時に進行するっていうことを考えた時に、結局マスを集められる正統派、王道派の人が強くなってくるっていうのがどうしても起こると思うから。

 

直井: うーん。どちらかと言うとグランプリより観客賞が重要なのかもしれないですね(笑)

 

森: 黒田監督に関してはね、僕、自分の好み過ぎるのが怖いんです(笑) もう、めっちゃ好みなんですよ! でも明らかに「山下敦弘+井筒和幸」のラインで観ている自分がわかるから、そうするとブレイク可能な規模が想定できちゃうところがあるなあって。もちろん今後打ち破って欲しいですけど。あと『世界の終わりのいずこねこ』って、どこまでも観念的な寓話じゃないですか。でも『おんなのこきらい』は、本当に身の回りの人間関係を現実社会の縮図に落としこんだお話で。もうね、関心領域のあまりの違いにびっくりしますよね(笑) 同じ時代に生きてんのに。

 

九龍: 作家が社会性を考えてるかどうかってことはどっちでもよくて、受け取る側でそれをどう発酵させるかに僕は関心があるんですよね。本人は政治的なことや社会的なことを扱おうとしてるけど、的外れな人も全然いるし。

 

森: だから『おんなのこきらい』みたいにミニマムな日常を高い精度で描いた方が政治的に読めるところがありますよね。キャラと関係性という人間力学だけを描いているから。

 

九龍: 男と女の「あるあるネタ」なんて、まさに社会だし、政治ですからね。

 

直井: あるあるってのは大きくて、『サッドティー』とか『恋の渦』もそうだったんですけど、あのラインは普段映画を観ない人達も来ますよね。

 

九龍: 見終わった後に話す事がいっぱいあるからですよ。ああいう映画は、ネットで感想を言うだけも楽しいですからね。

 

森: つまりそれも「観客参加型」の一定型。『おんなのこきらい』はそれがばっちり周到に出来てるもんね。台詞も「正解」の域まで考え抜かれてる。ある種露悪的なヒロインの他に、本当のビッチはお前だよ、みたいな女もいる(笑) でもみんな、きっとそれぞれに事情がある。スピンオフも作れそうだもん。

 

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『おんなのこきらい』(加藤綾佳監督)

 

九龍: そういう意味で開かれた映画ですよね。でも、一方で、作家が意識的に、あるいは無意識的にでもこだわっているオブセッションを見たいっていうのもあるんですよね。

 

直井: 僕は興行も考えなきゃいけないから、両方のバランスが大事で。京都造形大学の卒制みたいな作品を観ると、技術だけちゃんとしてて何をやりたいのか分からない作品が多いんですよ。その中に一人だけ『いろんなにおいのワカモノだ』(監督:伊藤祥)っていう、勢いだけで高まっていく謎の映画があって。ロロの三浦君みたいな。ああいうのと出会えるとしびれます。

 

九龍: そういう人が、その衝動を個人的な排泄行為にしないで、突き放して作品をつくった時に一番凄いものが出来るような気がするんですよね。むしろ、そういう核の部分がないと、映像制作会社にでも就職しないかぎり、作品制作は続かないと思う。

 

森: う~ん、ただそれで言うと『おんなのこきらい』ってめっちゃ暗い話じゃないですか。ぶっちゃけ「負け美女」的なメンヘラの話なんで、えらくドロっとしたものが根っこにはありますよね。そこには加藤監督の格闘の跡が生々しく見えるというか、ご苦労された感じは充分ある(笑) あと「モテ・非モテ問題」みたいなのって10年くらい続いてきたと思うんですけど、いよいよハッキリ次の段階に入ったというか。一見強者なんだけど、やっかいな闇を抱えてる人もいる。そこでルサンチマンだけじゃない、ポピュラリティーなものに繋がる幅が出てきたのかもしれないですね。それこそ『テラスハウス』だよね。

 

直井: 『おんなのきらい』の木口(健太)君を、観た女の子がみんな好きになるみたいなんですよ。現代のモテ男子としては、リアリティがあるみたいで。

 

森: それは完璧にそう作ってるからじゃないですか。加藤監督がヒロインを救済するために用意したようなキャラクター。ヒロインを「次」に向かわせるために機能する、バランスのいい包容力を備えた現代版の「いい男」像みたいな。あの公園のシーン、森川さんがぎゃーって感情吐露して、木口さんがそっと「全部言えた?」って呟いた時、僕もグッときたもん(笑)

 

直井: あと、ふぇのたすが出てくるところが今観ると違和感あって。何か謎のタイアップ感に見えてMOOSIC LABの名残が…(笑)

 

九龍: つまり、そこがMOOSIC LABとして、グランプリに推せなかった理由ですから(笑)

 

直井: もう一つの『QOQ』はコラボ・ミュージシャン不在っていう(笑)

 

九龍: いくら作品がよくても、規定やコンセプトを崩してまでグランプリを上げちゃったら、MOOSIC LABの存在意義がないですからね(笑)

 

 

インディーメジャー液状化どころか棒でぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感じがしてるので、その中で何ができるか企んでいきたい。(直井)

 

 

直井: 折角なので、今年のラインナップで決まってるところだけ見ていきたいんですが。まずは、パンフの後ろに載せた企画公募から初選出した小根山悠里香。多重人格の女の子の4人の人格が1つの部屋にいるっていう話を持ってきて。サクライケンタさんプロデュースの「Maison Book Girl」を組み合わせたのは僕なんですけど。

 

九龍: 元BiSのコショージだ。監督は何本撮られてる方なんですか?

 

直井: 1本撮ってて、TAMA NEW WAVEで入選したりしてますね。次は、噂の「ベッド・イン」のフェイクドキュメンタリー。元々はしたまちコメディ映画祭のグランプリとか獲ってる「破れタイツ」っていう女の子2人ユニット監督と掛け合わせようと思ったんですけど、ベッド・インに実際に会ったら、クレバーな人たちでノリではできないと思って「破れタイツがベッド・インでトレンディドラマを撮る羽目になる話」を別の誰かが作るのが良いなと思って。脚本にピンク映画大賞で脚本賞を何度も撮ってる小松さん=当方ボーカルさんがいいな、と思ってそこと深い繋がりがあるサーモン鮭山監督がメガホンを撮ることになったという(笑)

 

九龍: 鮭山さんには、むかし映画『デメキング』の宣伝ポスターをデザインしてもらったことがありますね(笑) これ、もしかしたら、ひょっとするんじゃないですか。ベッド・インの2人も、本当に頭がキレるし。

 

直井: 次は『5つ数えれば君の夢』のサントラもやった「Vampillia」と京都造形大出身である種明快なファンタジー映画を目指す酒井麻衣監督。ここは脚本がかなり面白くて、ミスiDグランプリの金子理江主演という事もあり、注目です。あと、(AVレーベル「性格良し子ちゃん」の)ターボ向後さんは、アーティスト(禁断の多数決&BRATS)が見た夢を元にした映像作品+αになる予定。あと今年の演劇界からは根本宗子監督。6月に大森靖子と演劇やる人なんですけど。

 

九龍: 根本さんなら、脚本も期待できそう。

 

直井: 本人達も出るので、月刊「根本宗子」×「せのしすたぁ」みたいになると思います。せのしすたぁは福井のアイドルで、明日は無い!今しかない!っていうパンクバンドみたいな熱いパフォーマンスが売り。あとは、室谷(心太郎)っていうアカシックのMVとか撮ってる人で、「細身のシャイボーイ」とのコラボ。その他の出演者はプロレスラーだらけ(笑) バンドじゃないもん!の望月みゆさんが出る事が発表され、先日WEB上で話題になってましたが。

 

九龍: アントーニオ本多さんも出るんだ! プロレス界有数の映画マニアですよ本多さん。しかも本多さんと映画部的な活動をしている竹下幸之介も。しかも主演はDPGの福田洋。これだけですでにコラムが一本書けそう(笑)

 

直井: あと、松本卓也監督。森さんと審査員で一緒だった下北沢映画祭で観客賞だった『帰ろうYO!』って映画を撮ってて。『サイタマノラッパー3』でラップバトルの司会をやってたマチーデフ君とのコラボなんですけど、監督と実の兄弟。『帰ろうYO!』と同じサイボーグかおりとのコンビで挑みます。ジャズピアニストのスガダイローは、全国ツアー行く度にお城に行くような城マニアらしくて、その道中を収めたドキュメントを、森孝介さんが撮り続けていて、それをまとめる感じに。

 

九龍: なるほど。今年の面子は面白そうですね。何が飛び出すか分からない感じがある。

 

直井: 去年の受身体制を反省しまして、今年は仕掛けてみました(笑) 演劇、AV、プロレス…。

 

九龍: すでに『メモリースティック』の中に登場している人も何人かいます(笑)

 

森: 最後のまとめじゃないですけど、九龍さんは『メモリースティック』以降のMOOSIC的な流れについてはどう考えてます?

 

九龍: むしろ、いまここで話したようなこととはぜんぜん別の場所から何かが生まれてくるような気がします。でも、直井さんが、いきなりわけの分からない人を連れてくるっていう幻想もある。実は最もMOOSICに飽きていて、MOOSICをひっくり返すようなことをやってしまうのが、直井さんだと思うんですよ。いきなりブラックMOOSICみたいな団体を立ち上げるとか(笑) ……ま、それは冗談としても、最後に直井さんにも今後のことを伺いたいですね。

 

直井: そうですね、MOOSICを通過した人たちの次の一手までは面倒見ないとと思ってますし。ここ1、2年でKADOKAWAさんや東映ビデオさんを始めとした大手との付き合いも少しずつ増えて来て。インディーメジャー液状化どころか棒でぐっちゃぐちゃにかき混ぜられた感じがしてるのでその中で何ができるか、模索しながら面白い事を企んでいきたいと思ってます。あとガチで手が足りないので配給アシスタントが欲しい…(遠い目)

 

森: 僕は直井さんの健康だけが心配です!(笑)

 

PROFILE 直井卓俊 Takatoshi Naoi
1976年生まれ。配給会社アップリンクから独立し『童貞。をプロデュース』(2007)をきっかけにSPOTTED PRODUCTIONS名義で活動。代表的な配給作品に『SR サイタマノラッパー』シリーズ(2009~12)、『フラッシュバックメモリーズ3D』(2012)、『恋の渦』(2012)、『自分の事ばかりで情けなくなるよ』(2013)『サッドティー』(2013)、企画プロデュース作品に『劇場版神聖かまってちゃん』(2011)、『アイドル・イズ・デッド』シリーズ(2012~14)など。音楽×映画の祭典『MOOSIC LAB』主宰。

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森直人 Naoto Mori
1971年生まれ。映画評論家、ライター。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「朝日新聞」「キネマ旬報」「テレビブロス」「週刊文春」「週刊プレイボーイ」「メンズノンノ」「クイック・ジャパン」「映画秘宝」などでも定期的に執筆中。

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九龍ジョー Joe Kurron
1976年生まれ。ライター、編集者。いくつかの職種を経たのち出版社勤務を経てフリー。「KAMINOGE」「クイック・ジャパン」「CDジャーナル」「宝島」「アクチュール」「シアターガイド」等にて、ポップカルチャーを中心に原稿執筆。編集した単行本も多数。著書に『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)、『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(磯部涼との共著)(Pヴァイン)ほか。